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広島高等裁判所岡山支部 昭和49年(く)8号 決定 1974年4月09日

主文

本件抗告を棄却する。

理由

一、被告人の抗告申立の趣旨及び理由は、要するに、岡山地方裁判所は、昭和四九年三月二二日被告人に対し、同年二月一日付勾留状には勾留の要件事由として記載されていなかった刑事訴訟法六〇条一項一号を加えて勾留更新決定をしたが、右決定には不服があるから、これを取消されたい、というにある(なお、本件申立書には「即時抗告申立書」と題してあるが、申立書の内容に徴すると、通常抗告の申立とみられる。)。

二、よって検討するに、一件記録によると、被告人が昭和四九年二月一日付岡山地方裁判所裁判官前田博之が発した勾留状記載の罪(本件公訴事実記載の不退去の罪)を犯したと疑うに足りる相当な理由があること、右勾留は、同被告人に対し刑事訴訟法六〇条一項三号の事由ありとしてなされたものであること、右不退去被告事件の審理を担当(単独体)する同裁判所裁判官渡辺宏(以下単に公判裁判所と略称する。)は、同年三月二二日右勾留はまだ勾留状記載の勾留要件及び同法六〇条一項一号の要件が消滅していないことを事由に同条二項により同月二九日から右勾留を更新する旨の決定をしたこと等が認められる。

三、そこで、右一件記録及び人事院公平局首席審理官足立忠三気付<片山恵子>名義で岡山地方裁判所宛送付された「巡礼報告」と題する書面(その一ないしその七)、被告人から同裁判所に提出された<岡大南宿舎RB三〇二>気付<片山恵子>発行の「<乞食通信>No.1」と題する書面、被告人名義の昭和四八年一〇月八日付同裁判所宛「申入書」と題する書面、等に当審で取調べた当審裁判官大野孝英名義の電話聴取書二通の記載を総合すると、次のような事実を認めることができる。

(一)  被告人は、昭和四八年五月一九日本件不退去の被疑事実につき勾留され、同月二三日右事件につき岡山地方裁判所に公訴を提起されたが、翌二四日には勾留取消によって釈放され、在宅のまま公判審理を受けることになった。

(二)  ところが、被告人は、公判裁判所の適法な召喚を受けながら、本件第一回公判期日である同年六月二六日、第二回公判期日である同年九月四日いずれも何ら事由を明らかにしないで出頭しなかった。そこで、公判裁判所は、第三回公判期日を同年九月二〇日と指定するとともに、被告人に対する勾引状を発したが、その所在を確認できないとの理由で右執行はできず、被告人は右期日に出頭しなかった。公判裁判所は、第四回公判期日を同年一〇月一一日と指定し、右期日の召喚状は同年九月二二日岡山市津島岡山大学南宿舎RB三〇二号(以下単に岡大宿舎と略称する。)の被告人宛送達されたが、被告人は、同年一〇月八日付「申入書」と題する書面により同月一一日は人事院に出頭する旨同裁判所に連絡し、右期日には出頭しなかった。なお、右期日に警察官が勾引状の執行のため前記岡大宿舎に赴いた際には、被告人の妻子が在宅しており、被告人の妻が右警察官に対し、「主人は昨日人事院へ行くと言って家を出た。」旨告げた。公判裁判所の人事院に対する照会結果によっても、右期日にほぼ被告人に間違いないと思われる者が人事院に出頭していることは認められるが、右は人事院からの出頭要請に基くものではなかった。公判裁判所は、第五回公判期日を同年一〇月一八日と指定して被告人に対する召喚手続をとったところ、同月一五日被告人の妻A名義で、「主人は先日人事院へ行くと言って出かけたまま連絡がとれない。」旨の理由書を添えて右期日の召喚状は返送され、公判裁判所が発した勾引状も、被告人が上京中で不在との理由で執行できなかった。同月二二日同裁判所裁判官前田博之は、被告人に対し勾留に関する処分をするため勾引状を発したが、被告人の所在が不明のためその執行ができず、再度勾引状を発したところ、昭和四九年一月三一日に至り被告人が勾引されたので、翌二月一日同裁判官は前記勾留状を発して被告人を勾留した。なお、右勾引状の執行のため、警察官が昭和四八年一一月一三日、同月一九日、同月二三日、同月二八日、同年一二月一〇日、同月一七日、同月二一日、同月二五日、昭和四九年一月八日、同月一六日、同月三〇日にそれぞれ前記岡大宿舎付近で張り込み及び近隣の聞き込み捜査をしたが被告人の所在を確認することができず、また岡山大学職員が昭和四八年一一月二日、同月五日、同月一二日、同月一三日、同月三〇日にそれぞれ前記岡大宿舎を訪ねた際にも、被告人は不在であった。更に、同年一二月一九日警察官が前記岡大宿舎を訪ねた際にも応待に出た被告人の妻が、被告人は一〇月頃から不在で、どこにいるのか見当もつかず、連絡の方法もない旨右警察官に告げた。一方、被告人は、自らを「乞食」と称して、昭和四八年一〇月一〇日頃前記岡大宿舎を出て以来前記勾引状の執行を受けるまでの間、東京、京都、神戸、名古屋、金沢、新潟、神戸と順次その居所を転じ、家族にもその所在を連絡しなかった。

(三)  被告人は、岡山大学教養部教官講師の地位にあった昭和四七年四月七日前記岡大宿舎の貸与を受けて同宿舎に居住していたものであるが、昭和四八年五月八日岡山大学長から懲戒処分として免職処分を受け、同大学の職員たる地位を失ったため、これを理由に、同年一〇月三一日国から前記宿舎の明渡等を求める訴を岡山地方裁判所に提起されている。

(四)  被告人は、前記のとおり昭和四九年二月一日以降勾留されて公判審理を受けることとなったが、同月一八日の第六回公判期日において、公判裁判所の人定質問に対し、住居は「岡山大学南宿舎RB三〇二」と答えたものの、氏名、年齢、職業についてはこれに答えず、同期日は起訴状朗読のみで閉廷した。次いで、同月二二日、同月二五日、同年三月一日の各公判期日にそれぞれ証拠調を行なったが、被告人は、右各期日(第六回公判を除く)の公判において、所定の被告人席に着席せず、勝手に発言を繰り返すなどして裁判所の訴訟指揮に従わないため、毎回退廷を命じられる状態であった。同月二二日の公判期日は、被告人不出頭(軽い口内炎のため)により延期となり、同年四月一日の公判期日にも、被告人は、裁判所の再三にわたる警告にもかかわらず勝手に発言を繰り返し、法廷の秩序維持のため退廷を命じられ、証人三名に対する尋問が実施された。

四、以上に認められるような被告人の公判裁判所への出頭状況、昭和四八年一〇月一〇日頃前記岡大宿舎を出てから前記勾引状の執行を受けるまでの三ヶ月余の間、家族にも連絡しないで県外各地を転々とし、所在確認ができないため勾引状の執行も不能であった事情、被告人の身分関係、国から前記岡大宿舎の明渡を求める訴を提起されていること、本件勾留後の公判審理の経過、内容等及び本件申立書の被告人の肩書記載、に照らし、かつ本件事案の性質、被告人には確実な身柄引受人がいないこと、等を考慮すると、被告人が勾留された昭和四九年二月一日の時点において、被告人につき、刑事訴訟法六〇条一項一号の「定まった住居を有しないとき」及び同項三号の「逃亡すると疑うに足りる相当の理由があるとき」の各勾留要件事由が存し、かつ勾留の必要性もあり、本件勾留更新決定の時点においても、まだ右各勾留要件事由は消滅していないこと、及び勾留継続の必要性のあることを認めるに十分である。なお、本件勾留状には前記のとおり同法六〇条一項三号のみ掲記され、同項一号の勾留要件事由は記載されていなかったものであるが、勾留の時点において、勾留状には記載されなかったけれども、客観的に他の勾留要件事由も存し、あるいは、その後に新な勾留要件事由が生じた場合は、これらの勾留要件事由を附加して勾留を更新することは許さると解されるから、本件において原裁判所が同項一号の勾留要件を附加して勾留更新決定をした措置は違法とはいえない。以上の次第で、被告人の本件申立は理由がない。

よって、刑事訴訟法四二六条一項後段により本件申立を棄却すべく、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 干場義秋 裁判官 谷口貞 大野孝英)

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